2012年3月27日火曜日

元検弁護士のブログについて<1> - 日暮れて途遠し ブログのコメント投稿を禁止された直後のエントリ

元検弁護士のブログについて<1> - 日暮れて途遠し
2008-06-23
■[2008]元検弁護士のブログについて<1> 編集CommentsAdd Star

http://www.yabelab.net/blog/

 本日、長い間、多数回に渡りコメント投稿を続けてきた「元検弁護士のつぶやき」において、ブログ主であるハンドル名「モトケン」さんから、排除というか退場の宣告を受けました。

 最終的な通告は次のとおりです。

死刑に対する朝日の見識<--エントリ名

http://www.yabelab.net/blog/2008/06/20-150047.php

No.179 モトケンさん | 2008年6月23日 09:12 | CID 157824  (Top)

 ブログ主がPCが使えない状況のときに限ってこういうことになってしまうんだな、とため息まじりに思っておりますが、それはともかく

>No.138 廣野秀樹さん

>覚悟はよろしいですか?

 この一言で私も腹を決めました。

 

 つい最近退場勧告(事実上のアクセス禁止勧告)をさせていただいたtmxさんが、その後に示した私とこのブログに対する配慮に比べてあなたの対応は他者への配慮がなさ過ぎます。

 今後、このブログに対する廣野秀樹さんの投稿を認めません。

 発見次第削除します。

 なお、コメント投稿の自粛を表明されている方が複数おられるようですが、私としてはその必要はないものと考えております。

 というか、投稿の早期再開を希望しています。

 このように有無をいわさぬ処分であり、巻き添えで退場処分になった人もいたようです。これも同じエントリです。

No.180 通りすがりXさん | 2008年6月23日 10:25 | CID 157838  (Top)

モトケンさん何をそんなにおびえているのですか?

廣野秀樹さんに釈明を求めたのはあなたですよ。

最後まで人の話を聞くぐらいの器量は持ち合わせてませんか?

(以下、ブログ主)

これまでのいきさつを知らない人にとやかく言われる筋合いはありません。

知って言ってるなら釣り認定です。

いずれにしても、今後あなたのコメントも削除します。

場外乱闘ならご自由にどうぞ。

(以上、ブログ主)


No.183 通りすがりXさん | 2008年6月23日 10:51 | CID 157844  (Top)

>いずれにしても、今後あなたのコメントも削除します。

>場外乱闘ならご自由にどうぞ。

了解しました。

最後に退場処分の理由だけ教えてください。

主に逆らうとそく退場がこのブログのルール?

(以下、ブログ主)

最大の理由はコメント欄における議論の流れを妨げたり混乱させること。

それ以外は、ケースバイケースの判断

例えば、ブログ主以外の者に対する侮辱など

その他、すべてブログ主による裁量的判断

(以上、ブログ主)


 以前にもアクセス禁止の警告を受けたり、コメントを丸ごと削除されたこともありました。

 どうもブログ主の意向というだけでなく、常連のコメント投稿者の方々から、多数苦情が出ていたみたいですが、元はといえば、ブログ主の対応に影響され、同調されたのかもしれません。

 私がなぜ、このブログに頻繁なコメント投稿を行って来たのか、その理由をまず先に述べておきたいのですが、昨夜は夜なべの投稿になり2時間半ほどしか寝ていないので、少しずつ連載で書いていきます。

 なお、先日から「2008」というカテゴリを設け、このエントリもそれに含めていますが、これは次回、金沢地方検察庁提出の告訴状において、参考資料として内容を印刷したものを添付するという趣旨、目的です。


 Googleで「元検」と検索を掛けると一番目にこのブログが来ます。いましたが確認をかね実際に試してみたのですが、二番目に、ちょうど指摘しておきたかった内容のエントリがヒットしました。

 ずいぶん長文のエントリなのですが以下部分的に引用します。


「有罪率99%」は謎か異常か?

http://www.yabelab.net/blog/2007/01/24-200558.php

 検事は、事件の起訴不起訴を決める際の事実認定にあたって、全ての証拠の証明力を、有能な弁護士による批判にさらされた後の状況を想定した上で、それらの証拠を裁判官はどのような評価をするであとうか、という目で検討し、弁護士による批判に晒されたとしても裁判官が有罪とするに足る証拠があると判断したときにだけ起訴する、というのが原則です。

 つまり、裁判官の立場に立って事件を考えて、裁判官が間違いなく有罪にすると認められる事件だけ起訴しているということです。

とのことですが、メディアはともかく、検察が無罪事件を「深刻なスキャンダル」と受け止めることはしません。

 たしかに、英米の検事より日本の検事のほうが無罪判決を重く受け止めますが、原則として反省材料として検討するのであって、「スキャンダル」と呼ぶのは不適切です。

 ともかく、検察が「きびしい『品質管理』を行って起訴の条件をきわめて保守的に設定する。」というのは間違っていないです。

 こういう検察の姿勢については検察内部の一部(例えば私^^)にも若干の批判はあるのですが、マスコミの報道姿勢などとも関係する大きな複雑な問題ですので、そうそう簡単には変わらないと思っています(後でも触れます)。

 これは池田信夫氏が何人かの裁判官に取材された結果か、誰かの取材結果を参考にされたものでしょうか?

 もっとも、私も伝聞ではありますが、「検事が起訴したんだから有罪じゃないの。」と口にした裁判官があるやに聞いています。(←こういう裁判官は早く辞めたほうがいいです)

 無罪判決の数または割合と裁判官の処遇との関係についてはよくわかりません。

 この部分の論旨が必ずしもよくわからないのですが、「冤罪の原因としてよく問題になる警察の『自白中心主義』も、このように行政の力が強いことが一つの原因だ。」の部分の「行政の力が強いこと」というのが何を意味しているのか測りかねています。

 日本の刑事訴訟法も当事者主義構造を基本としていますから、検察官の起訴がなければ訴訟は始まりません。

 そして警察による捜査は検察官が起訴不起訴を決めるための証拠収集手続という位置づけです。

 また法律家からみた「自白中心主義」というのは、自白の証拠価値を大きく認める考え方ですが、警察が(検察もですが)自白中心主義に陥る最大の原因は、行政の力ではなく、証拠評価者である裁判所が自白の証拠価値を認めて有罪判決のために自白を強く要求するからであると考えています。

 但し、その結果として「『お上』の決めた罪状を被疑者に認めさせるという捜査手法になりやすい。」という傾向はあります。

 この場合の「『お上』の決めた罪状」というのは、警察が考えた事件の構図のことです。

 この問題は、以前から「検察ファッショ」という表現で批判されてきました。

 検察が裁判官以上の慎重さで起訴不起訴を選別しているので、裁判官の裁量の余地は相対的に小さくなり、結局、検察が有罪無罪を決めている、という批判です。

 私もその批判は当たっている面があると感じています。

 検察としては100%の自信がない事件でも、きちんと裁判所の判断を仰ぐという起訴のあり方もあっていいのではないかと考えることもあります。

 しかしそうすると、無罪率が増えます。

 無罪率が増えると言うことは、結果として無実の人が身柄を拘束され起訴されることが増えるということです。

 言い換えれば、結果的に不当起訴が増えるということです。

 検察が一方的に証拠判断のレベルを下げて有罪率を下げようとしても、マスコミは逮捕時点で犯人逮捕と報道し(実際はまだ被疑者)、起訴時点で有罪扱いです。

 簡単に有罪率を下げるわけにはいきません。

 重大な人権侵害の増加をきたすからです。

 最近、別のブログで有罪率99%以上というのは異常だという意見を目にしましたが、有罪率が下がるということはどういうことなのか理解した上での意見であったのか疑問があります。

 「検察が恥をかかないため」というのは適切ではないでしょう。

 そのような次元の話ではないからです。

 疑獄事件のような社会的地位の極めて高い被疑者を相手にする場合、場合によっては日本の経済全体や国政にも影響を与えることになりますから、検察がより慎重になるのは当然です。

 もし疑獄事件に対する検察のより積極的な態度を期待するのであれば、検察により強い捜査権力を与える必要があります。

 つまり、池田氏の言い方を借りれば、検察により強い行政の力を与える必要があります。

 やや、揚げ足取りの感もなきにしもあらずですが、池田氏のエントリは思うところを書いてみたい気にさせるところがありましたので、誤解があるかもしれないことを承知で書かせていただきました。

 なお、池田信夫氏のプロフィールを知りませんでしたのでググッてみたところ、以下のようなお立場の方であることがわかりました。

 独立行政法人 経済産業研究所

 「検察が恥をかかないため」というのは適切ではないでしょう。

 そのような次元の話ではないからです。

 疑獄事件のような社会的地位の極めて高い被疑者を相手にする場合、場合によっては日本の経済全体や国政にも影響を与えることになりますから、検察がより慎重になるのは当然です。

 もし疑獄事件に対する検察のより積極的な態度を期待するのであれば、検察により強い捜査権力を与える必要があります。

 つまり、池田氏の言い方を借りれば、検察により強い行政の力を与える必要があります。

 やや、揚げ足取りの感もなきにしもあらずですが、池田氏のエントリは思うところを書いてみたい気にさせるところがありましたので、誤解があるかもしれないことを承知で書かせていただきました。

 なお、池田信夫氏のプロフィールを知りませんでしたのでググッてみたところ、以下のようなお立場の方であることがわかりました。

 独立行政法人 経済産業研究所

補足追記

 検察官は、有罪判決が得られるという判断で起訴していますが、常にその判断が正しいとは限りません。

 検事の能力も個々の検事によってかなり差があるのも事実です。

 つまり判断を誤る検事もいるということです。

 別エントリで意見を書いた富山の強姦冤罪事件もその一つです。

 あの事件は本来は無罪になるべき事件でしたが、被告人自身が認めてしまったので法曹3者が問題点に気づくことなく有罪判決になってしまいました。

 誰かが気づくべきでしたし、気づく契機はあったと思います。

 しかし、現状はマスコミは(そして世間も)逮捕有罪推定主義、起訴有罪確信主義とも言える状況です。

 逮捕されただけで職場は首になる。

 子供は学校で苛められる。

 奥さんは村八分状態。

 という事態が普通に起こるのです。

 その反動として、起訴した事件が無罪になれば、世間やマスコミは「不当起訴」として警察や検察を批判します。

 それが「結果的に不当起訴」の意味です。

 社会が、「間違い」即「不当」とは言えないと考えているのであれば、「不当起訴」という私の表現は不適切であったことになります。

 このブログでは医療崩壊問題が議論されていますが、福島の大野病院事件という1件の不当逮捕・起訴が、産科領域の医療崩壊を劇的に加速したという実感が多数の医師から述べられています。

 1件の起訴には個人の不条理を超えた社会的影響が生じる場合が少なくありません。

 あとで「無罪でした。すいません。」では、被告人に対してだけでなく社会に対しても、すまない場合があります。

しかしこれはかなり強引なこじつけです。

 警察のマンパワーの限界の問題、刑事司法の謙抑性の問題、国民の規範意識の問題などを全部ひっくるめて、数値目標達成の問題としての「99%有罪ルール」に結びつけています。

 私から言わせれば、これこそ本末転倒の議論です。

 有罪率はそれ自体として目標にはなっていません。

 もっと実質的な刑事司法制度の運用のあり方の結果として出てくるものです。

 運用のあり方を変えた結果、有罪率が下がるのなら、検察はそれを全く問題視しません。

 なお、起訴できるものしか起訴しないというのは、証拠上、確実に有罪になる事件以外は起訴しないということであって、その当否の問題とその前段階としての摘発すべきものを摘発していないのではないか、という問題とは別問題です。

 dankogai氏はこの問題を混同しているようです。

しかしこれはかなり強引なこじつけです。

 警察のマンパワーの限界の問題、刑事司法の謙抑性の問題、国民の規範意識の問題などを全部ひっくるめて、数値目標達成の問題としての「99%有罪ルール」に結びつけています。

 私から言わせれば、これこそ本末転倒の議論です。

 有罪率はそれ自体として目標にはなっていません。

 もっと実質的な刑事司法制度の運用のあり方の結果として出てくるものです。

 運用のあり方を変えた結果、有罪率が下がるのなら、検察はそれを全く問題視しません。

 なお、起訴できるものしか起訴しないというのは、証拠上、確実に有罪になる事件以外は起訴しないということであって、その当否の問題とその前段階としての摘発すべきものを摘発していないのではないか、という問題とは別問題です。

 dankogai氏はこの問題を混同しているようです。


 2007年1月24日付けのエントリみたいです。そういえば、以前読んだような覚えがありますが、初めにこのブログを訪問したのが、前年にあたる2006年の秋頃だったように思います。その後、訪問する時は、しばらく集中していたように思いますが、まったく訪れることのない中断の時期もけっこうあり、間が長くなることもあったと思います。


 たぶん現在もあまり変わらぬスタンスなのかなと思いますが、私の投稿に辟易し、避けたいと意識されていたのかは定かではありませんが、直接、検察の問題を取り上げることは少なくなっているような印象があります。

 現在、多いのが医療事故関係の問題や、マスコミ関係みたいな感じです。ここ数ヶ月の間は、ほとんど毎日欠かさず、訪問しているのでしっかり確認はしていませんが、そう間違いはないはずです。

 それと裁判員制度も取り上げるようになり、今年に入ってしばらくしてから、ブログのサブタイトルのような部分に、「今年は、裁判員制度をメインテーマにしようと思います。」と記されています。

 この裁判員をテーマにしたエントリもしばらくの間、見かけなかったのですが、割と最近になってから、いくつか取り上げられるようになっていたのですが、私のコメント投稿を忌避してか、議論もいまひとつ盛り上がらなかったようです。

 だいたい、私が積極的にコメントを入れると、ほとんどがスルー(無視)ですが、その後、立ち消え状態になることが少なくなかったという印象もあります。

 私なりに誤解を解消しょうと努めたつもりなのですが、時既に遅しであったのか、さらに疎遠な扱いを受けていたみたいです。

 しかし、一時的に投稿者の人のなかには一定の理解を示すようなコメントもあり、自身のブログの方で書いてください、というご指摘もいくつかあったので、長くなりがちな説明を自分のブログの方で書き、リンクを張ったりしていたのですが、ログを見る限り、リンクを辿ったアクセスは少ないもので、繰り返すほどに少なくなっていました。

 せっかく書いても意味がなく、意識を集中して書く気力も失せるという悪循環の繰り返しでした。

 私の立ち回り方にも問題があったと思いますが、そこには負担や後日のご迷惑を及ぼさないという配慮があったつもりなのですが、そのような問題でもなかったみたいです。

 初めにご紹介したエントリ、

http://www.yabelab.net/blog/2008/06/20-150047.php

のコメントの流れをみればよく分かると思いますが、実に凄まじいものです。

 「覚悟」という言葉を、私は多義的に使いましたが、それももとはといえば、次のコメントがあったからです。

No.122 みみみさん | 2008年6月22日 21:36 | CID 157690  (Top)

>廣野秀樹さん

もしかして、モトケンさんのNo.73のコメントを読み飛ばしましたか?

元検事のブログで特定の検事の名誉を損ねるコメントを書くなら、それなりにソースと覚悟の用意が必要だということでしょう。


No.73 モトケンさん | 2008年6月22日 01:30 | CID 157527  (Top)

>No.67 廣野秀樹さん

 私のコメントの表現が分かりにくいと思いますので、はっきりと書かせていただきます。

 あなたのコメントについて、誤りを認めてあなたが指摘した検察官に対して謝罪しないのであれば、今後このブログにコメント投稿をするのは遠慮していただきたいと思います。

 tmxさんにご退場を願った以上、あなたに対してもあなたのコメントを容認することはできません。

No.74 キメイラさん | 2008年6月22日 01:51 | CID 157532  (Top)

No.67 廣野秀樹さん

 法曹の誰が見ても死刑だろうと、マスコミ関係者も死刑しかないと思える本邦始まって以来の珍しいOS教事件ですらベテラン裁判長が真っ赤な眼で入廷した東京地裁原審判決言い渡し当日の状況、某地方で原審(地裁)死刑判決を棄却する控訴審判決を朗読中に慟哭から言葉に詰まって朗読がしばし中断した定年退官間際の高裁部長の控訴棄却事件で、それぞれ判決を言い渡すだけ(執行をしない)の裁判長の人間的苦しみや悩みや人生観をかけた訴訟行為。

 そういう現実をみたこともない貴方だけが書ける捏造放言(暴言)だと思います。恥を知ってください。

 どうも具体的でなく唐突でもあり、ある程度のことは予想していたものの、私も戸惑ったのです。

 そこで次のようなレスも試みました。


No.128 廣野秀樹さん | 2008年6月22日 22:49 | CID 157706  (Top)

>No.122 みみみさん

 特定の検事というのは、誰のことでしょう。本に出ていた検事さんですか?

 それとも、私の事件の担当検事ですか?

 後者ならば、平成15年の1月頃時点で、金沢地方検察庁の担当者が、直接○○検事に話を聞いてみればいかがですか、と言っていました。

 私としては、マスコミが取材する方が筋だと考えておりますし、場合によっては、国会で尋問されるべきでしょう。

 私を批判するのはけっこうですが、次のような経過のあることも念頭に置いて頂きたいです。

<■[告訴事件]金沢地方検察庁の対応>

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20060731/1154353895

 まさか、本に出ていた検察官の名誉に覚悟ということもないでしょう?

 ここに至る前に、ブログ主のモトケンさんから別の人のコメント中に、挿入したかたちで、コメントが追加されていましたが、そこには私のことを、私怨だと断定してありました。結局、その有効な反論の機会も与えられないまま、追い出されたという格好です。


No.81 通りすがりXさん | 2008年6月22日 08:00 | CID 157566  (Top)

法務業の末席さん

くだらない私怨でコメ欄を汚さないで下さい。お願いします。

(以下、ブログ主)

 ブログ主としては、コメ欄を汚されたとは思っていない。

 なお、廣野秀樹氏のこれまでの多くのコメントについては、必ずしも軽薄とは思わないが、廣野氏のコメントの多くこそ私怨に基づくコメ欄汚しと感じている。

 少なくともトピずれコメントは多い。

 ただし、廣野氏の私怨の正当性(恨みをもって当然か否か)については論評する立場になく、その点について廣野氏を批判するつもりはない。

 この記載についての、反論は無用。

(以上、ブログ主)


 早めにやすみたいこともあり、今回はこのあたりにしてお気ますが、私がモトケンさんのブログにおいて、看過できないと思った大きな要因が、犯罪被害者に対する「感情論」という言葉だったのです。

 これは、XXXXX(この部分は実名になっていたので削除:2012年3月27日)さんのためにも、放置できないと思いました。


≪つづく≫


追記:入るかどうか分かりませんが、陰口をたたくようなのもかたちも嫌なので、次のエントリにトラックバックを送信してみます。

http://www.yabelab.net/blog/2008/06/20-150047.php


追記:2008年12月26日

関連エントリ:

<元検弁護士のブログについて<1>

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080623/1214229695

元検弁護士のブログについて<2>

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080624/1214316063

元検弁護士のブログについて<3>

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080625/1214392962

元検弁護士のブログについて<4>

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080625/1214402638

元検弁護士のブログについて<5>

http://d.hatena.ne.jp/hirono_hideki/20080626/1214488576

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 現在プライベートモード中のHatena::Diaryのブログからの引用です。ふと思いついて検索をかけたところ、思いがけない情報を発見しました。年月の経過もありますが、忘れていることも多く、探しだすのも容易でないと痛感しています。「Hatena::Diary-日暮れて途遠し」というラベルを新たに作成しました。Bloggerのブログにおけるラベルというものは、通常のブログのカテゴリーとタグの中間的なものです。

 あとあとの記憶喚起も意識して書いていたのだと思いますが、割とよくまとまっていて、当時の状況を再現しているような気がしました。引用部分とそうでない部分がわかりづらくなっているところも感じられましたが、主要な流れはつかめそうです。


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