刑事裁判の鉄則を説く「基本講座」? - 元検弁護士のつぶやき
刑事裁判の鉄則を説く「基本講座」?
「常識で判断 疑問なら無罪」 裁判員へ「法廷の心得」(asahi.com 2007年04月11日08時32分 ウェブ魚拓)
2年後に導入が迫った裁判員制度で、裁判官が裁判員に刑事裁判の鉄則を説く「基本講座」(説示)のガイドライン案が決まった。裁判員が判断するうえで最低限必要な考え方の枠組みをわかりやすく示す。裁判員制度に関する規則を作る最高裁の委員会の準備会が10日、まとめた。5月の委員会で正式に示される。
「最高裁の委員会の準備会」のメンバーというのがどういう人なのかよくわかりませんが、裁判官が主導しているんだろうと推測します。
まず、刑事裁判は検察官の証明をチェックするものとの原則を示す。
被告人が有罪であることは、検察官が証拠に基づいて証明すべきことです。検察官が有罪であることを証明できない場合には、無罪の判断を行うことになります。(太字部分はガイドライン案)
サイト上では「太字部分」がありませんのでどこがガイドライン案だかはっきりしませんが、「チェック」という曖昧な言葉を使っているのが気になります。
わかりやすさを心がけているのは理解できますが、余計にわかりにくくなっていないでしょうか。
「事実の認定は、法廷でチェックされた証拠に基づく」という基本も確認される。
被告人が有罪か無罪かは、法廷に提出された証拠だけに基づいて判断しなければいけません。新聞やテレビなどで見たり聞いたりしたことは、証拠ではありません。ですから、そうした情報に基づいて判断してはいけないのです。
さて、素人の裁判員がどこまでニュースやワイドショーの情報を無視することができるでしょうか。
裁判では、不確かなことで人を処罰することは許されませんから、証拠を検討した結果、常識に従って判断し、被告人が起訴状に書かれている罪を犯したことは間違いないと考えられる場合に、有罪とすることになります。逆に、常識に従って判断し、有罪とすることについて疑問があるときは、無罪としなければなりません。
ガイドライン案は、一方で「法廷に提出された証拠だけに基づいて判断しなければいけません。」と言い、他方で「常識に従って判断」するように言っています。
裁判のプロにとってはこの二つは特に違和感なく理解できます。
事実認定の基礎資料とできるのは法廷で適法に取り調べられた証拠だけである、ということが大前提としてあって、その証拠によってどのような事実が認定できるかまたはできないかは常識などに照らして判断される、ということです。
しかし、この作業は、裁判の仕組みをきちんと理解した人間が相当の訓練を受けることによってできることのように思われます。
私は、ワイドショーなどでレポーターが事件の内容を伝えるのを聞くときには、どこまでが事実でどこからがレポーターの推測なのかを意識しながら聞きます。
また、事実と思われる部分も、その根拠(証拠)としてどんなものがあるのか、供述だけなのか、供述だけなら直ちに信用できないかも知れない、などということを考えながら聞いています。
そして具体的な事件について判断するときは、マスコミ報道をいったん排除して、証拠だけを見てその証拠の評価は他の証拠を含む証拠関係全体の中で判断するという訓練を受けています。
「基本講座」は、裁判員制度が実施されれば、公判が始まる前、検察官、弁護人が同席する場で、裁判員に選ばれた人たちに説明されることになりそうだ
そのような訓練を全く受けていない一般市民の裁判員に、「基本講座」で説明しただけで、そのとおりのことが裁判員にできると最高裁は本気で考えているんでしょうか?
また、証拠の評価について「常識」で考えろと言っていますが、被告人は「白」といい、被害者は「黒」といい、目撃者は「灰色」だと言った場合、はたして「常識」に基づいて「何色」だか簡単にわかるのでしょうか?
そもそも一般的な「常識」が通用しない領域の裁判ではどうしろと言うのでしょう?
このガイドライン案作りに関与した裁判官は、自分たちがどのようにして事実認定をしてきたのか考えてガイドライン案を作ったのでしょうか?
私は依然として裁判員制度に対して悲観的な見通ししか持てません。
追記
最高裁が仮に本気だとすれば、最高裁は刑事裁判の事実認定のあり方をこれまでとは根本的に変えようとしていることになるはずですが、刑事訴訟法や刑法を根本的に変えようとはしていませんので、そういうわけでもなさそうです。
モトケン (2007年4月11日 09:15) | コメント(10) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
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