刑事裁判と被告人の納得(光市母子殺害事件から) - 元検弁護士のつぶやき
刑事裁判と被告人の納得(光市母子殺害事件から)
私は、刑事裁判の目的というか機能のひとつとして、被告人の納得ということを忘れてはならないと思っています。
もちろん、事件を否認している被告人が死刑判決を受けた場合に、被告人が納得することなどあり得ないわけですが、そのような場合においても、被告人に、どういう問題について審理されてその問題について裁判所がどのような判断をしたのか、ということくらいは理解してもらう必要があると考えています。
そして、被告人に納得または理解させる責任は、法曹三者つまり弁護人、検察官、裁判官がそれぞれの立場で負っていると考えます。
具体的に言えば、被告人に対して事件の問題点をきちんと説明する必要があります。
問題点を知らないで納得も理解もないからです。
ところが、今回の光市母子殺害事件の被告人質問において、被告人は
「結果的に人を殺してしまったことを『殺人』と認識していた。傷害致死という言葉自体知らなかった」
と言いだしました(光市母子殺害 「傷害致死の言葉知らず」 元少年、殺意を否認 西日本新聞)
なんで今頃になってこんな供述が出てくるんだ、というのが私の第一印象でした。
私は、殺人と傷害致死の違いなんてものは第1審の弁護人が当然きちんと説明しているものと思っていました。
もっとも、被告人は第1審当時にきちんと説明を受けていたが今となっては忘れてしまっている可能性もありますし、言い訳のために、ほんとは説明を受けていたが聞いていないと嘘をついているのかも知れません。
しかし、殺人と傷害致死の区別ができていない人は決して珍しくありませんから、この報道だけで被告人が嘘をついていると決めつけるわけにもいきません。
被告人に事件の問題点を説明して理解させる責任はまず弁護人にあると言えます。
被告人が嘘をついているかどうかはっきりしない現状では以下はあくまでも仮定の話になりますが、
もし仮に、本件で第1審の弁護人が被告人に殺人と傷害致死の区別を説明していないとするとかなり大きな問題だと思います。
被告人が、その供述調書においても弁護人の接見においても公判における被告人質問においても終始一貫して明確に殺意を認めていたのなら別ですが、本件ではどうもそうではなさそうです。
私は、第1審の弁護人がいわゆる恭順路線を被告人に助言し、被告人がそれに従って無期懲役狙いをするという弁護方針自体は特に批判しません。
しかし、その前提として弁護人から被告人に十分な情報提供とその情報の意味するところを説明する職責があると思います。
つまり、被告人が弁護人に対してわずかでも殺意を否認する供述をしたのであれば、弁護人としては、
君は殺意があったのかなかったのかどっちだ。殺意があれば殺人罪で死刑もありうるが、もし殺意がなければせいぜい傷害致死だぞ、傷害致死ならば死刑はありえないんだぞ。殺人と傷害致死は別物だぞ。でも本件の証拠によれば、傷害致死を言い張っても認められない可能性が極めて高い。そうすると死刑を回避するためには、一応殺意は認めて反省の気持ちを最大限に示せば死刑を免れる可能性が高い。殺意を否認して傷害致死を主張するよりは認める方がまだ死刑にならない可能性が高い。
というような説明をする必要があるし、私は、本件の第1審の弁護人はそのような説明をしたのかな、と思ってました。
ですから、私のこれまでの光市母子殺害事件に関する論評においては、被告人が殺人と傷害致死を区別できているということを前提に書いたものがあります。
もしそうでないなら、その部分は修正する必要があります。
それはともかく、私は最近、「被告人を守るということ」と「被告人の自己責任」というエントリを書きましたが、自己責任の前提として弁護人からの十分な情報提供が必要です。
ただし、以上の第1審弁護人批判は被告人の今回の供述を信用した場合の話であり、被告人の供述が真実でないならば弁護人に対する批判は成立しません。
次に、弁護人の被告人に対する説明の有無にかかわらず、第1審の公判担当検察官の責任も軽視できません。
弁護団から発信されている情報によれば、被告人は第1審の公判で殺意を否認した、少なくとも否認をほのめかした、検察官から言えば往生際の悪い弁解をしたことがあったようです。
そのような場合の検察官としては、被告人の弁解(殺意の否認)を徹底的に弾劾つまり批判して叩きつぶす必要があります。
特に本件は死刑求刑が検討されていたはずであり、一審判決がどっちに転んでも控訴・上告が必至の事案ですから、第1審で全ての問題点を徹底的に解明しておく必要があります。
ところが、本件の一審の公判担当検察官をそれを怠ったようです。
なぜ怠ったのか。
検察官に対しては憶測を交えて遠慮なく批判することにします。
被告人の弁解を徹底的に弾劾するためには、被告人に全ての弁解を語らせなければいけません。
簡単にいうと、言いたいことは全て言わせる、ということです。
その上で、被告人の言っていることは全て違うじゃないか、ということを証拠に基づいて被告人に示すことになります。
もちろん、証拠に基づいて否定できない弁解や証拠上認めざるを得ない弁解もありますが、その場合はいさぎよく被告人の主張を認めるのが検察官の正しい姿です。
以上を踏まえて、検察官がなぜ被告人の殺意の有無を徹底追及しなかったのか?
徹底追及していれば、その過程で被告人は否応なく殺人と傷害致死の区別を理解したはずですし、そのことは公判記録上明らかになっていたはずです。
考えられ理由は以下の三つです。
1 検察官が経験不足でそこまで思い至らなかった。←上司の指導不足
2 弁護人が認めているんだからまあいいや、と手抜きをした。
3 証拠に弁護人が気づいていない弱点があったので、下手に弁解させるとほんとに殺意が認められなくなってしまうと思って、意図的に追及しなかった。
以上の中で最も罪深いのはやはり3でしょう。
ここで憶測は止めますが、いずれにしても、一審の検察官がしっかりしていれば、今頃になって被告人から殺人と傷害致死の区別ができていなかったというような供述が出てくることはなかったと思います。
同じことが多かれ少なかれ一審の裁判官にも言えます。
何度も繰り返すように私自身は本件の証拠を見ていませんので的外れのことを書いたかも知れませんが、もし、記録上において、被告人が殺人と傷害致死を区別できていたことが残っていないとすれば、審理が十分なされていなかったという弁護団の主張は外れていないと思います。
十分な審理なくして被告人の納得などありえません。
ただし、時間をかければいいというものではないと思います。
モトケン (2007年9月19日 14:41) | コメント(64) このエントリーを含むはてなブックマーク (Top)
0 件のコメント:
コメントを投稿