2012年11月9日金曜日

「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」-。一九八五年に刑事法の大家だった平野龍一・元東大学長は論文にそう記した。

再審無罪 絶望的な司法みつめよ...からの引用
https://www.facebook.com/enzai2012/posts/304694562978334


再審無罪 絶望的な司法みつめよ

 冤罪(えんざい)が相次ぐことこそ、犯罪的だ。東京電力の女性社員殺害事件で、ネパール人男性が再審で無罪となった。裁判員時代には市民が誤判しないよう、捜査や裁判の在り方を根本から見直すべきだ。

 「わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」-。一九八五年に刑事法の大家だった平野龍一・元東大学長は論文にそう記した。八〇年代には免田事件や財田川事件、松山事件、島田事件と、死刑囚が相次いで再審無罪となった。

 この論文の言葉が再び、現代の刑事司法に投げかけられているようである。二〇一〇年の足利事件、一一年の布川事件、今回の東電女性社員殺害事件と三年連続で、いずれも無期懲役が確定した人に「再審無罪」の判決が出た。状況はやはり、かなり絶望的である。

 重要なのは、なぜ誤判したのか、その原因を徹底究明することだ。しかし、今回の事件について、検察はなお「捜査・公判に特段の問題はなかった」とし、検証結果も公表しないという。不可解というしかない。

 捜査にも、裁判にも欠陥があったのは間違いない。むしろ警察や検察、裁判所は自らの過ちに客観的な分析ができないだろう。第三者機関を設け、法的な調査権限を付与して、冤罪を生んだ原因を明らかにすべきである。日弁連によれば、欧米諸国では誤判事件が発生すると、独立した委員会を設けることが広く見られるという。

 今回の事件では、とくに証拠開示に問題があった。再審無罪の決め手となったのは、女性の体内の精液や爪の付着物のDNA型鑑定だ。逮捕から十五年半。この事実に到達したのはあまりに遅い。

 裁判員時代になり、市民も「有罪・無罪」の局面に立つ。正しい判断をするためにも、被告人に有利な証拠もすべて明らかにすべきである。検察の証拠隠しを許してはならない。全面的な証拠開示は急務といえよう。

 冤罪事件では自白を強要する捜査手法にも原因がある。取り調べの全過程の録音・録画も不可欠だ。否認すると長期間、身柄を拘束する「人質司法」の問題も改善せねばならない。

 ネパール人男性は、手書きで綴(つづ)った。「日本のけいさつ けんさつ さいばんしょは よくかんがえて わるいところを なおして下さい」-。無実の人を罰しないことは、刑事裁判の最大の鉄則である。男性の訴えを真正面から受け止めるときだ。
東京新聞

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